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Charatanで見習い工時代を過ごした後、1910年、立ち上がったばかりのDunhillに工場長の地位で籍を移したジョエル・サシエニ(※1)が、Dunhillの製品に飽き足らず、自身の卓越した技術と斬新なアイデアを投入すべく、1919年に設立されたブランドがこのSasieniである。開業してすぐに工場が火事で焼失するという不運にも屈せず製作されたSasieniのパイプは、しかし傑出したドライスモーキング特性を持った素晴らしいパイプであった。
その特性は空気乾燥とオーブンによる加熱乾燥を組み合わせるというジョエルのアイデアが結実した、Sasieni独自のダブルキュアリング製法(※2)によるものだった。通常の長期にわたる空気乾燥ののち、ブライヤーブロックは6週間もの間オーブンで加熱され、クラックを生じて廃棄される大量のブロックを出しながらも、適宜オーブンから取り出して染み出た樹脂と湿気を除去され、極度に乾燥した品質になったのである。
ヨーロッパ市場ではDunhillのホワイトスポットをライトブルーに変えただけのロゴを使用していたSasieniだったが、商標権の厳しいアメリカではそのロゴは使用できなかったため、決定的に異なったロゴを採用せざるを得なかった。 そこでスポットの数を増やす変更を行なったところ、4ドットのロゴがアメリカ市場で好意的に受け入れられたのである。これが後に有名となるFour-Dotロゴの始まりであった。Four-Dotがステムに埋めこまれたパイプはアメリカではスマッシュヒットとなり、Sasieniの製品は30年代には9割がアメリカ市場に輸出される運びとなった。
第二次大戦後、ジョエルが死去すると、息子のアルフレッド(奇しくも父ジョエルの以前のボスの名前である)・サシエニ(※3)は、偉大な父親の跡を継ぐだけの能力があることを十分に証明して見せた。アルフレッドは強力なリーダーシップを発揮してSasieniパイプの売上を伸ばし、多様なシェイプ、多様なグレードをラインナップに追加し、その厳しい品質管理によって生産された高品質のパイプは、やがて世界中に多くのファンを獲得していったのである。
1979年、会社は売却され人手に渡った。アルフレッドはディレクターとしてしばらくの間Sasieniに留まったが、自分の満足できるクオリティの実現が新たなオーナーシップの元では不可能であることを悟ると、結局はブランドを去っていった。ジョエルが心血をそそいで1本1本アラインメントを確認したFour-Dotのロゴはシルクスクリーンのプリントとなり、アルフレッドが固執し続けたヴァルカナイトステムはアクリルにとって替わられた。机の上に広げられたイギリス全図の上で父子が顔を突き合わせ、それぞれが好きな街を挙げては決められていった、古き良き英国を喚起させる響きを持ったシェイプ名の刻印はシャンクから消し去られた。新オーナーの元、しばらくの間新生Sasieniは良質のパイプを供給し続けていたが、やがてブランドは次のオーナーの手に渡ることとなる。三番目のオーナーはJ.B.Russel氏はSasieniを以前とは全く違った、安価で良質なパイプを製作するメーカーに変貌させた。現在もこのオーナーのもとSasieniブランドパイプの生産は続けられている(※4)。製品は値段を考えれば妥当で良質なものであるが、かつての多数のセカンドブランド運営で得られた、ジョエル・サシエニの理想を体現したフローやピットのない高品質なパイプは、もはや完全に過去のものになったのである。
1987年にリチャード・カールトン・ハッカー(Ultimate Pipe Bookの著者)氏がアルフレッド・サシエニにインタビューする機会があった。ハッカー氏は会合に持っていくパイプに吟味をかさねた上、コレクションの中でも最高の逸品と思われるEight Dotをアルフレッドの前で吸うことに決めた。だが彼の前に現れたアルフレッドが実に平凡なFour Dotを吸っているのを見てハッカー氏は驚き、しばらくしてから勇気をふりしぼると次のような質問をかつてのサシエニのオーナーに投げかけた。「…あなたはサシエニのストックの中からいくらでも素晴らしいパイプを選べたでしょうに、何故そのような…ええっと…平凡なパイプを吸っておられるのですか?」と。アルフレッドは微笑むと、「ああ、私ども親子はハイグレードのパイプに手はつけませんでした。それはお客のためのものですからね。父も私も当時はラインからはねられたパイプだけを吸っていたものですよ!」と答えたそうである。インタビューが終わり、食事の時間になってようやく、アルフレッドはハッカー氏の咥えていたEight Dotに気づいた。彼はよく眺める為に身を乗り出すと、しみじみと「…なんて精妙に作られたパイプなんでしょう!」と嘆息したという。Sasieniパイプの製作に一生をささげた男は、1本のEight Dotすら所有したことはなかったのである。
Sasieniの特徴は、なんといってもダブル・キュア製法によって得られた卓越したドライスモーキング特性であり、これがいまだに熱烈なSasieniファンを惹きつける理由である。また、コレクション心をくすぐる、イングランドの地名を元にしたシェイプ名や、そのどことなく大らかな風格のあるカットも魅力である。グレインにはクロスカットが多く、他のメーカーほどストレートグレインにこだわりはなかったようであるが、Family EraのSasieniのFour-Dot、Eight-Dotは完全にフローなし、サンドピットなしのクリーンなブライヤーの品質を誇っている。
また、Sasieniは中古市場においてスムースパイプより、ラスティックパイプの人気が高い珍しいブランドである。Sasieniのラスティケーションはまるで枯山水の庭の箒跡のような優雅なテクスチャを持ち、Four Dot Rusticの特定のシェイプにおいてはかなりの高値で取引されることもしばしばである。Sasieniエンスージアストとしても知られるアメリカ人パイプ作家、Michael Lindnerは、Sasieniのラスティック処理は全て、二人の熟練工が一手に引きうけて行なっていたのではないかと推測している。二人の職人はそれぞれ別の作風を持ち、ひとつはもっとも多く目にすることができる、グレインに沿って細かい溝を彫り入れた前述のClosely-Grained style、もうひとつは前者よりも非常に珍しい、より浅い彫りでまるで植物の葉の葉脈のようにカービングされたFloral styleに大別できるという。(Thanks to Mr.Webb for the infomation)
Sasieniの喫味のキャラクターは、しばしば『香り立ち』という言葉で表される。ブレンドの一番繊細で一番特徴的な「香り」を豊かにレンダリングする傾向があり、傑出したドライスモーキング特性、素晴らしいクールネスとあわせて非常に上質で豊穣感溢れるスモーキング・エクスペリエンスを演出する。また煙草のタイプを選ばず、製作年代や個体による差異も他のブランドより少ないのがSasieniの特徴である。『Pre-war Sasieni、Patent Dunhill、Pre-Trans Barling』と並んで賞賛されるブランドだけあってその実力はパイプ界でも最高レベルと言っていいだろう。
Sasieniの歴史は以下の3つの時期に大別される。
Family Era(もしくはPre-Transition)1919年〜1979年:サシエニ親子による経営の時代
Transition 1979年〜1986年:ニ番目のオーナーによる経営の時代
Post-Transition 1986年以降:現在のオーナーによる経営の時代
Sasieniにおいてコレクティブルな品質を持つのは、ニ番目のオーナーに会社が渡る以前、Family Eraのパイプである。(尚、Transition Eraの時代の製品も高品質であることには変わりはないが、Family Eraの製品ほど珍重されることはない。)Family Eraの製品の特徴としては、以下にリストされたモデルでなおかつ、Four DotとEight Dotに限っては、シェイプNo.の代わりにシェイプ名(イングランドの地名に由来)が刻印されているものである。(1926年以前のアンティークパイプにはシェイプ名が刻まれていないものがあるが、こちらはSasieniのロゴの筆記体の最後のラインが魚の尾のようにロゴの下にまで伸びているFishtail-Logoなのですぐ判別がつく。)尚、Four-Dotではなくアラビア数字での4-Dotの刻印はPost-Transitionのものである。
Eight Dot
One Dot
Four Dot Natural
Four Dot Walnut
Four Dot Standard
Four Dot Plum
Four Dot Ruf-Root natural
Four Dot Ruf-Root dark
Four Dot Rustic
Two Dot
Sportsman
Fantail (natulal smooth/line carved rustic)
Tweed (dark brown smooth)
Craven (brown natural smooth) [shape No. prefix #6]
Henley Club
Barkeley Club (black rustic) [shape No. prefix #7]
Sandhurst (light brown sandblast)
Englandaire
Friar [shape No. prefix #9]
His Royal Highness (redish brown smooth) [shape No. prefix #3]
Royal Stuart (redish brown smooth/redish brown quaint carved)
Windsor (black sandblast)
Worcester
Litewate
Claret(stem logo is One-Dot, but not first)
Mayfair (brown natural smooth) [shape No. prefix #6]
Canadian (black rustic)
Old England (black rustic) [shape No. prefix #7]
McDonald(smooth light brown finish, very minor defects & good stems)
Sasieni Four Dot 30R "Rustic Briar" billiard (c1927)
Sasieni Four Dot 39R "Rustic Briar" pot (c1927)
Sasieni Eight Dot "MOORGATE" Pot (1928-1938)
Sasieni Eight Dot "ASHFORD" Author (1936-1938)
Sasieni Four Dot "ASHFORD" arthor (1938-45)
Sasieni Four Dot Patent "BROOKLANDS" Bulldog(1947?)
Sasieni Four Dot Natural "ASHFORD S" Author (1950-1979)
Sasieni Four Dot Natural "MOORGATE" Pot (1950-1979)
Sasieni Four Dot Wallnut "EXETER" XS Pointed Heeled 1/8 bent (1950-1979)
Sasieni Four Dot Wallnut "ASHFORD" Author (1950-1979)
Sasieni Four Dot Patent "ASHFORD" Author (1947?)
Sasieni Four Dot Patent "OOM-PAUL S" Oom-Paul (c 1946)
Sasieni Four Dot Ruff-Root "Rutland" bent (1950-1979)
Sasieni Two Dot #88 Author (1960'-1979)
Sasieni Two Dot #88S Author (1960'-1979)
Sasieni Two Dot #88S Author (1960'-1979)
Old England Rustic #38 Prince (1950')
Old England Smooth #779 Rhodesian (pre-war?)
Old England Rustic #88S Author (1950')
Old England Smooth #788 Author (pre-war?)
Old England Rustic #93 Stack (1950'-1979)
Sasieni Windsor #88 Author (1946〜1960s?)
Litewate Plum #35 Saddle billiard (1950'-1979)
(※1)Joel Sasieni。Josephであるとの説も根強いが、1987年にAlfred SasieniにインタビューしたRichard Carleton Hacker氏によれば、Sasieniの創立者の名前はJoelで間違いないとのこと。Joelはその背丈の小ささから「リトル・ジョー」の愛称で親しまれていたという(「ジョー」は通常Josephの愛称であるため、上記の誤認が起こったのだろう。1930年代の特許記録にはJoelの名とサインがはっきりと記載されている)サシエニ家はその名前からイタリア系と思われがちであるが、オランダが源流の、昔からイギリスに深く根を下ろした家系であるという。1896年より、13歳でCharatanで見習い工として働き始め、1910年のダンヒルの立ち上げ時にはファクトリー・マネージャーの地位で招聘された。1945年12月逝去。
(※2)Sasieniのキュアリングプロセスは、Dunhillの2倍の時間施されたオイルキュアであるとする説もある。また、1919年イギリスにおけるオリジナル・パテント(UK PAT.124,410)には、『…熟成の足りない材料で作られたパイプの場合、事前に改良された装置で最初に乾燥させ、そのあとで再びオイル処理されることになります。もしくは最初にオイル処理した後、中に残った樹液や余分なオイルを取りのぞくために乾燥装置でトリートメントされるのです。』という、Joel Sasieniのサインつきの文章が残っているそうである。最初期のSasieniのキュアリングプロセスには、何らかのオイルキュアリングに類するステップが含まれていたと見て間違いなさそうである。
(※3)Abraham Alfred Sasieni。1912年Stanford Hill生まれ。1992年9月Hendonにて死去。夫人の名はCecilia。父Joelの血を受け継ぎ赤毛で、父と同じく背が低く、"アルフ"の愛称で呼ばれていた。
(※4)J.B.Russelの依頼により、現在ではSouthend-on-SeaのCadogan industryがSasieniパイプの生産を請け負っている。往時とは随分テクスチャが異なっているが、Rusticフィニッシュも4-Dotラインに追加されている。